忠犬ゴンは生仏

 
忠犬ゴンは生仏

 むかし、ムカシ、あわくらの里-大茅の村に、炭焼を本業に暮していた太作さんという人がいたそうです。それはそれはよく働き、正直者で村の誰からも『太作さん、太作どん』と可愛がられたそうです。
 太作さんは、嫁のおよしさんと二人暮しで、子宝に恵まれず、それが一番の淋しさでした。二人共、子供がいないためか、犬が好きですきでたまりません。ある日、太作さんは炭焼きの帰り、道に「クンクン」という犬の声を聞き、草をかき分けてみると、一匹の小犬が捨てられていたそうです。

 太作さんは
 「……なんじゃあいナ!こがいな所におって、ヘビにでも呑まれると大変じゃ。よしよし、ワシが、飼うてやるが……」
と、人にでも話すようにしながら抱えて家に帰りました。
 それからは、およしさんと二人で夜はフトンの中で一緒に寝てやり、自分の子供以上に可愛がったそうです。
 そして、子供が生れたら付けてやろうと考えていた『ゴン』という名前を付けたそうです。太作さんは、山に行けばゴンを連れて行き、山畑に登ればゴンもついて行く日々が続きました。
 ある冬、それは大雪の日、嫁のおよしさんの母の死の知らせがあり、太作さんは、およしさんと若杉峠を越えて、およしさんの里『若桜の里』へ葬式に行くことになったそうです。しかし、葬式にゴンを連れて行くことはできません。
太作さんは
 「………ゴンや、こんどばかりはオメエを連れて行くわけにゃいかねい。家に帰りなョ!………」
と、若杉峠で追い帰しました。
 冬の山道です。1日や2日では帰れません。太作さんは、ゴンのことが片時も忘れることができません。ゴンも毎朝若杉峠に登り、夕方まで主人太作さんの帰りを待ったそうです。
 三日目、およしさんを残して太作さんは帰途につきました。近年にない大雪で若杉峠では太作さんの身丈より深く積もっていました。雪を手でかきわけかきわけ、一歩また一歩進んだそうですが、あやまって足をとられて小谷に落ちたそうです。もがけばもがく程雪の中に入り
 「………ゴンやー、ゴンやー」
と、必死で叫んだそうです。
 ゴンは大雪でも、朝から若杉峠で太作さんを待っていました。何処からともなく、ゴンを呼ぶ声に、ゴンは力のあらん限り雪の中を進みました。そして、ゴンはとうとう太作さんの倒れている処まで辿りつきましだ。

 

 

忠犬ゴンの絵

出典:『にしあわくらの民話』 絵:佐藤 理氏

 

 しかし、太作さんは気力も根もつかい果たし、ゴンを呼ぶ声すら出なかったそ
うです。ゴンは、次第に冷える太作さんの体温を高めるため太作さんの懐に入り、
「………ご主人元気出してくだせい。早う家に帰ろう……」
とても言うように必死であたためました。しかし、雪は降り止まず、とうとう太作さんとゴンは、大雪の中で抱き合って死んでしまったそうです。
 世に忠犬の名は、『ハチ公』といわれますが、あわくらの里にも、忠犬ゴンは生仏として残っていました。

 

出典 西粟倉村教育委員会刊『にしあわくらの民話(むかしばなし)』