~あわくら歴史街道~ H12.6 | ||
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刀工 吉光 | ||
吉光は、永享年間(1429年頃)の人で、備前国長船の刀工藤原義光の子といわれ、藤原姓を裏付けるように「下り藤」の紋章が今に伝わっています。国民宿舎「あわくら荘」裏の山麓一帯は、室町時代にこの吉光が来村して | ||
鍛冶屋を営み、たいへん栄えたところと伝えられ、今も昔を物語るかのように、「吉光」「山の神」「吉光西通り」「下鍛冶屋」等の地名が残っています。 その昔、鉄の原料は永昌山等から採取された砂鉄で、そこから刀や農具が作られていたようです。 吉光の鍛冶屋は、繁盛の末、分家を下鍛冶屋に設け、二軒の刀鍛冶が「カジヤ千軒ツチの音」の言葉にあるように、にぎやかに栄えたということです。 |
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