善僧房の墓碑

~あわくら歴史街道~ H11.11
善僧房の墓碑の写真  粟倉庄大茅村の「八屋」と呼ばれる家の近くに、粗末な庵を結んだ真言密教の僧がありました。善僧房といわれ、高野山にて密教の法を学んだ高野聖の一人だったと伝えられています。善僧房は寛永10年(1633年)10月19日に、弘法大師にならって入定されました。後にこの入定の地に墓碑が建立され、その際に善僧房が、息絶えるまで振りつづけた輪鈴が発見されています。
 入定後、地域の人々の善僧房に対する信仰は高まり、広く若桜や智頭から参詣があり、戦前までは毎年旧7月18日に「善僧房祭り」が催されていたといいます。
 現在、この墓の近くには、2基の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がたたずんでおりますが、善僧房との関係は定かではありません。

※高野聖(こうやひじり)・・・寄付を募るため、高野山から各地に出る僧のこと。
※入定(にゅうじょう)・・・・・生きながら地下の穴蔵にこもり、食を断ち、念仏を唱えながら往生すること。

 
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