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言い伝えによれば、慶長9年(1640年)に森美作守忠政が津山城を築城する際、城池の地鎮祭に国中の座頭を集めたそうです。この席で、西粟倉の引谷出身の楽都坊の奏でる琵琶の音は、忠政を始め居並ぶ人々を恍惚とさせるほどすばらしいものだったそうです。忠政はいたく感激し、楽都坊の名演に賞を与えて賞賛したということです。 現在、引谷川東山麓に五輪の卒塔婆(そとうば)があり、これが楽都坊の墓であると伝えられています。楽都坊は、一名「治地都坊」とも呼ばれ、卒塔婆には今も近くの人々が四季折々に香華をたむけています。 |