~あわくら歴史街道~ H15.2 | |
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新しい年を迎え、悪魔退散、福を招き、氏子繁栄を祈願するにふさわしい粟倉神社獅子舞を紹介します。 宝暦8年(1758)当時、祠頭大明神(粟倉神社の旧社名)の神官小田豊前と白岩丹後、同淡路父子との間に祠頭大明神を志度大明神に変えようとした神社、呼称の文字意義をめぐって論争がありました。当時の長尾村は常陸藩主土屋能登守の領地であったため、お役所へ吟味方を願い出たがお取り上げがないので、仕方なく同年江戸の奉行所へ訴えることになり、両人はそれぞれ伴人を連れて江戸へ出向き、評定所で裁きを受けることになりました。江戸での滞在は数ヶ月にも及び、その間に習得したのがこの獅子舞の演技で、それ以来祠頭大明神のお神楽として奉納されるようになり、伝承芸能として現在に受け継がれています。 |
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舞風は勿論江戸を中心とした関東流で、舞楽の粋として関西にはその類を見ないものと推賞されています。 獅子舞に最も重要な獅子頭は、江戸表より帰る途中播州姫路で求めたもので、良質の桐材を胴くり抜彫りした素材で技共に名品であり、月田清七作の銘が書かれていて、重さは雌雄共に7.5㎏あります。舞種の代表的なものは、拝殿神楽他3種類で、囃は大太鼓、横笛、鼻高天狗も加わって勇壮な舞で名高い。保存には、長尾中土居地区に粟倉神社獅子舞保存会が結成されていて、250年余りに亘り、神楽舞は今も立派に守り継がれています。 |
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